2017年8月5日土曜日

記録と記憶

今回まず最初にアップする写真は、ちょうど10年ほど前に自分がZorgにアップした浜松市立体育館の写真です。


ちょうど10年ほど前、自分にとっても愛着のある、この一風変わった形の体育館の取り壊しが決まったと聞き、
それならば、今のうちに記念に撮っておこうと思って撮影した1枚です。

当時使用した機材は、カメラは自分が初めて購入したデジタル一眼レフカメラであるist-Dと、
まだAPS-C用の広角レンズが一般的でなく、当時唯一APS-Cで広角らしく使用できるレンズとして所有していた
TAMRON(MF)SP 17mm F3.5です。
レンズは25年ほど前に中古で購入したものでした。

どこか自分の記憶にとどめたい記録写真という意識があってか、当時もモノクロで現像してZorgにアップしており、
当時に現像したそのままの写真をアップしています。

自分のこの体育館にまつわる思い出としては、(自分が浜松に居住を始めてからしばらく時間が経っていましたが)
下の息子がちょうど中学生で部活で卓球に励んでおり、市の大会はいつもここで行われていたため、
息子の卓球の応援に、いつもここを訪れていました。
息子にとっては、息子の卓球人生の卓球大会に関する原点のような場所だという気がします。
息子の卓球の応援の時のことを思い出すと、まだ全然古びた感じのしなかった内部の様子が、
まざまざとよみがえってきて、この写真はひとつの記録であると同時に、自分の記憶を呼び起こしてくれる1枚です。

次は、この体育館を別角度から撮影した1枚です。


先日10年ぶりに、この写真をみながら同じ場所を、同じ角度から、なるべく近い画角で撮影してみました。

使用したカメラはK-S2で、レンズはキットレンズのDA18-50mmです。
18mmなので、17mmとほとんど変わらないだろうと考えての選択です。

次は、最初の1枚目の写真と同じ角度から撮影した写真です。


その次は、2枚目の写真と同じ角度から撮影した写真です。


もう1枚、別角度から今の様子を撮影しました。


この写真では、遠くに浜松城の天守閣が写っていますが、体育館が取り壊されたあと、この場所は、
浜松城公園の無料駐車場として活用されており、駐車場が広くなったのは嬉しいことですが、体育館が取り壊されたことは、
今でも残念で仕方がありません。

話は変わりますが、この浜松城公園の近くには、昔奥山線という路線が走っていたようです。
奥山線は、自分と同じ歳の妻が当地で生まれたときにはもう廃線になっていたということで、
ずいぶん前に廃線になっていたようですが、その名残として、ここの近くに亀山トンネルというトンネルが残っています。


このトンネルは、自分にとってなかなかフォトジェニックで、こちらでも時々アップしている写真です。

この亀山トンネルには、旧奥山線の写真が記録として展示されているため、今回その写真を撮影して、
当時のこの路線の様子をこちらでアップしたいと思います。

まずは、亀山トンネルに向かう蒸気機関車の写真です。


他の蒸気機関車の写真です。




広沢は自分の自宅のすぐ近くなので、こちらの写真は、たいへん興味深く感じます。

次の写真は、奥山線の名前の由来となった奥山駅の写真だそうです。


奥山と聞くと、自分は500羅漢の寺である奥山方広寺を思い出しますが、最近大河ドラマをみていたら、
井伊虎松の実母である「しの」さんの実家のあった場所みたいですね。
自宅からは自動車で1時間くらいかかる北の(山の)ほうにあり、ずいぶん遠くまで走っていたのだと、しみじみ感じます。

旧奥山線は、蒸気機関車から順次ディーゼル車や電車に切り替えられていったようです。




最後の写真は、自分にとっては、街の記録と自分の記憶が織りなすタペストリーのように感じられる、なんとも感慨深い1枚です。


2 件のコメント:

  1. Still Lifeさん、こんにちは!
    浜松市立体育館はとても近代的で美しいデザインの建物ですね。
    10年前に解体されたとすると建築されたのはさらに数十年前だったでしょうか?
    もしかしたら高名な建築家の設計なのでしょうか。さらに卓球で活躍する国体選手の
    ご子息が試合を重ねた体育館ならば、さぞかし愛着も深いのではと推察いたします。
    また奥山線のトンネルもレンガの風合いがとても美しく絶好の被写体ですね。
    歴史ある物件の被写体はとても貴重なものですね。

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    1. 里人さん、どうもこんばんわ!!
      また、嬉しいコメントをいただき、ほんとうにありがとうございます。
      浜松市立体育館は一風変わった建物ですが、自分はその形が好きで、
      息子の応援も楽しみでしたが、ここを訪れるのも楽しみだったのを懐かしく思いだします。
      内装も綺麗で、多少内部の施設が古びた(旧式の)感はありましたが、
      トイレもとても清潔感がありましたし、取り壊されてしまったことは、
      今でも残念で仕方がありません。

      話はかわりますが、このブログを書いていたとき、自分はちょうど
      龍村仁監督著の「地球交響曲第3番 魂の旅」という本を読んでいました。
      それも、このブログを書き終えて、ちょうど読んだ章が、
      「シンクロニシティ"偶然の一致"」という話だったのですが、
      その、偶然とも思えるタイミングで起こった不思議な出来事が、
      ちょうど自分にも起きたような感じがして、自分も少し不思議な気持ちになりました。
      ちなみに「地球交響曲第3番」というのは、龍村仁監督の映画ですが、
      本当は星野道夫さんと一緒にアラスカを中心とした世界各地を回りながら、
      撮影する予定の映画だったのですが、撮影開始の2週間前に星野道夫さんと
      打ち合わせをして別れ、撮影開始の10日前に星野道夫さんの訃報を聞いたというシーンから
      この本は始まります。
      星野道夫さんが亡くなってしまって呆然とする中で、この映画は、
      結果として、星野道夫さんの魂と一緒に、星野道夫さんの世界を巡る旅として
      仕上げられました。
      本のタイトルの「魂の旅」とは、星野道夫さんの魂という意味です。
      「地球交響曲第3番」は、自分がちょうど滋賀県(草津市)に住んでいた20年ほど前に上映され、
      草津の映画館でみた数少ない映画の一つです。
      そんなことをたまたま思い出していたら、そういえば、ちょうど10年ほど前に
      息子が中学生時代に初めて卓球で全国大会に出場し、
      その会場が滋賀県だったため、息子と一緒に滋賀を訪れ、その帰りに
      当時住んでいた草津のアパートにも一緒に訪れました。
      その時に、当時息子も連れてよく通った「草津温泉」という名前の、
      群馬の草津温泉の湯ノ花をつかった「銭湯」によく通っていたのですが、
      その「草津温泉」にも、久しぶりに息子と一緒に入浴に訪れて、
      湯船につかりながら、昔話をしたのを懐かしく思い出しました。
      「地球交響曲第3番」をみた映画館にも行ってみたのですが、
      残念ながら、映画館は廃館となっていました。
      そんな色々な出来事を、このブログを書いた後に、本を読みながら、
      なにかつながりがあるかのように思い出したことに対して、
      少し不思議な感覚を覚えたのでした。

      ちなみに「地球交響曲第3番 魂の旅」という本には、
      星野道夫さんが生前だれにも話していなかった
      アラスカのクリンギット族というインディアンの長老やリーダーに教えていただいた、
      (クリンギット族の神話上の勇者の生まれ変わりである)星野道夫さんのクリンギット族名や、
      そのいきさつなども書かれています。

      なかなか興味深い本ですので、もし気が向くようなことがありましたら、
      里人さんも、一度手にとっていただけることがあるといいなあと感じます。

      たいへん長くなってしまい、申し訳ありませんでした・・・(^_^;。

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