2024年2月23日金曜日

天地耕作

  先日、県美術館に「天地耕作」展を観に行ってきました。

 持参したのは、DA16-85mmをつけたK-3です。

 

 カメラの使用について少し補記しますと、1泊以上する場合でカメラを持参する時、電車でのバックパック旅行の場合は、GRⅢかGRⅢxもしくはその両方を、車移動の場合は、DA16-85mmをつけたK-3を持参することにしています。

 

 県美術館に行くのは、自分が学生時代最後の年1988年に、できたばかりの県美術館に様子を見に行って以来36年ぶりです。

 当時は 県美術館の所蔵品が印象派の作品ばかりで、がっかりしながらも、どんな所か様子を見に行った記憶がありますが、美術館そのものの記憶はあまり残っていませんでした。

 

 久しぶりの県美術館に到着し、駐車場で富士山がきれいに見えていて、さっそく1枚撮影しました。

 

 

 駐車場から、県美術館への遊歩道の入り口で看板を撮影。

 

 今回の展示は、大自然を舞台にした壮大なインスタレーション。

 基本的に過去の軌跡を写真でたどるような企画展だとはわかっていましたが、その全容についての知識は少なく、気持ちは高まります。 




 美術館への遊歩道。

 


  これから観る内容が、自然と調和した創造的なオブジェだとわかっているので、遊歩道を歩きながら、街路樹にまとわりついているツタの葉っぱが、何か自然の生み出した不思議なオブジェのような気がして、1枚撮影。

 

 

 遊歩道には、いろいろな像が展示されていましたが、この遊歩道を舞台に見立てた場合に、一番よく似合っていると感じたオブジェを1枚撮影。

 

 

美術館の建物に到着。

 

 

玄関から入って、入り口ホールで中の雰囲気を撮影。

 


 

  このあと2階で「天地耕作」展を観ました。

 

 

 

 展示は撮影禁止でしたが、そのかわり、(逆に)ゆっくり、じっくりと、その活動(の主に軌跡)を鑑賞できた気がします。

 写真はありませんが、展示内容を観て感じた、自分の感想などを少し記述したいと思います。

 

 「天地耕作」は、1983年から2003年までの間に活動した、3人のアーティストによって結成されたグループ名であり、その活動名であるといってもいいかもしれません。

 

 この活動の開始当時、自分はまだ学生で、このような活動は全く知らず、活動が比較的広く世に知られるようになった1980年代後半から2003年という時期は、自分がちょうど社会人になり、最初転勤族で、国内だけですが(会社を辞めていなければ、次はシンガポールでしたが)社会人の初期(12年間)に、全国を転々としていた時期と重なります。

 

 その時期「天地耕作」は、今の地元静岡(浜松)を中心に、主に自然の中で、自然を舞台として、自然と調和した壮大なオブジェを、自然の素材を用いて創作し、一部の限られた人々にだけ情報が伝えられるような形で数日間(長くても1週間)だけ公開され、時には非公開のまま、原則として破壊されることによって、その創作活動を終えるというたいへんユニークな活動だったようです。

 

 その破壊、すなわち痕跡を残さないことも、重要なテーマであり、それはある種の祈りのような活動であったといえるかも知れません。

 ダライ・ラマが、カーラチャクラの儀式において、最後に極彩色の精緻な砂曼荼羅を破壊することで、儀式が完了する行為を彷彿させるように思います。


 その活動において創作されたオブジェの意味について考えると、自然と調和した壮大でかつ、野性的な緻密さを備えたその細部から、何か自分の精神の奥にある霊的なものとシンクロすると感じ、それは、例えば神社で感じる神聖さにもつながりますが、実際にはそれよりも、もっと太古、すなわち神社ができる前の、その起源となったご神体、それは磐座であったり、時には神社の裏の山そのものであったりといった、アニミズムが生き生きとしていた時代の畏敬のようなものにつながっていると感じましたが、自分にはそれ以上はわかりません。

 

 ただ、展示されていた当時のリーフレットには、「『産土(うぶすな)』は『生』を、『墳墓(ふんぼ)』は『死』を意味し、自分たちの活動では『生と死』がペアで表現され、時には『再生』も表現されている。」との記述があったので、主なテーマは「生と死と再生」であったようです。それに加えて、多分「祈り」もあったのではないかという気がします。

  「生と死」を考えるにあたり、「天地耕作」のメンバーは、当時、沖縄やアイヌの里、またオーストラリア(?)にも訪れ、太古からの精神が脈々と伝わる先住民たちの神聖な場所を訪れていたようです。

 

  そのような活動は、知る人ぞ知る活動であったことは、その経緯からもすぐにわかりますが、しかし専門分野においては、詳細な情報がすぐに世界を駆け巡る時代ではあったため、日本では、あまり広くは知られることはありませんでしたが、世界的には、その活動が高く評価され、知見ある世界各地からの誘いで、オーストラリアやフィンランドといった場所での活動(限られた時間での創作と展示)もされていたようです。

  また、県美術館でも1990年代に展示されていたことがあると知り、当時の県美術館の見識の高さにも驚きました。

 

  しかし、そのフィールドワークは、自然の中でこそ、より生かされるのものであり、都会との親和性のなさのために、都会で広く知られることはなく、すなわち、あまり多くの人に知られることはなく、2003年で活動を終えたことは、幸か不幸かわかりませんが、少し残念な気がします。

 ただ、その活動は、最近改めて再評価され、例えば山本浩貴 (著)「ポスト人新世の芸術」では、まるまる第3章を使って50頁にわたって解説されており、今回の企画展示もそうですが、評価されるべきものが、いま正当な評価を得ることができてよかったと思うとともに、個人的には少し誇らしく感じています。

 

 山本浩貴 (著)「ポスト人新世の芸術」

 

県美術館の「天地耕作」企画展サイト

 

「天地耕作」アーティスト村上誠氏のサイト

 

 もう少しだけ、今回の企画展示で感じたことを付け加えると、「天地耕作」の芸術は、造形でありながら、音楽に似ているとも感じました。

 自分の好きなジャズミュージシャン:エリック・ドルフィーは、死の数日前のラストコンサートにて、祈りにも似たすさまじいばかりの演奏の後、最後に次のような言葉を残しました。

 

 「 When you hear music, it's gone in the air. You can never catch it again.」

 

 この言葉は、「天地耕作」の活動の中で、最後に炎によって破壊される行為があったとの記述を読んだとき、その光景を想像しながら、上記言葉が、自分の中で激しく、深くシンクロしました。

  エリック・ドルフィーが最後のライブLAST DATEで最後に演奏した「You don't know what love is」を実際に聞くと、その意味を、きっとより深く感じていただけると思うので、その演奏も紹介いたします。


「You don't know what love is : Eric Dolphy」

 

 今回、あまりに旺盛だった創作活動の、そのたいへんさを深く感じれば感じるほど、その創作物が炎で包まれて消失する姿は、エリック・ドルフィー最後のライブ演奏のように、美しく、はかなく感じます。


 しかし、エリック・ドルフィーの音楽は、今でもその録音記録によって、生き続けています。

 「天地耕作」の活動もまた、写真によって記録され、また当時はVHSですが、録画でも生き続けていることを今回の展示で知り、今後もずっと、その活動を誰もが知りうることをうれしく思います。

 

 今回の企画展は、活動の軌跡をたどるだけでなく、2023年~2024年の再活動の一環として、県美術館の裏山に、その壮大なオブジェが創作・展示されました。

  それは、2003年に計画だけされ、実現しなかったプロジェクトだそうです。

  

 裏山のオブジェは、自由に写真撮影できたので、実物を生で鑑賞するとともに、自分の写真の記録に収めることができました。

 オブジェをいろいろな角度から撮影したものをアップしますので、よかったらこのブログにて、その世界の一端をご鑑賞いただけたら幸いです。

 

 この展示は、企画展が終わった後にもこの場所にそのまま残され、自分の死後、自然の中で徐々に朽ち果てていくことを、個人的には期待しています。

 

 








 

 このあと裏山を降りて、再度美術館の前に来た時には、到着した時とは異なり、空は厚い雲に覆われていました。

 

 

 駐車場へ向かう遊歩道を歩き始めたとき、遠くに山々が見えましたが、自分は山の近くで生まれ育ったため、いつもの懐かしさを感じるとともに、「天地耕作」を鑑賞した後だったこともあり、どこか祈りにも似た神聖さを感じながら、最後に1枚撮影して帰途につきました。

 


2024年2月3日土曜日

湖畔の水鳥

 



  先日いつもの公園にお散歩スナップに出かけましたが、3月末から始まる花博20周年イベント準備のため休園中と判明。

 仕方なく一度帰宅し、自宅近くの湖に、久しぶりに水鳥の撮影に出かけることに。

 

 DA300mm×1.4リアコンレンズを付けたK-3mⅢを持参し、PENTAXジャケットにPENTAXグローブを

着用し、自転車で出かけました。

 

 余談ですが、PENTAXグローブはグリップ性だけでなく、冬にはとても暖かいので、たいへん快適です。

 

 最初の写真は、湖の対岸から撮った「鷺島」と呼ばれる小さな島の手前側の様子です。

 コサギとマガモの群れが、いつものように群れで休んでいました。

 

 久しぶりの懐かしい光景です。

 

 小さくてよくわかりませんが、泳いでいるマガモかコガモの群れも。

  その後、対岸の湖畔に移動。

 

 湖畔入り口付近には、いつもカワセミがいて少し撮影。

 自分以外にもう1名の方が撮影していました。 

 冬の湖畔には、色々な水鳥がのんびりと休んでいます。

 

  こんなゆったりとした時間が好きで、10年ほど前は毎週のように通って、時々写真を撮りながら、

2~3時間くらいぼーっと見ているのが、とても幸せでした。

 

 それはミヒャエル・エンデの「モモ」の世界の時間のように感じます。



 このあたりにもカワセミがいて、こちらでは10名以上の方が撮影していました。


 カンムリカイツブリ

 湖畔から、鷺島に飛んでいくアオサギを撮影。

 K-3mⅢだと1発で、簡単に撮影に成功。

 その後少し用事があり、時間を気にしながら帰途につきました。

 同じ道を帰ろうかと考えましたが、とりあえず湖を1周して帰ることに。

 

 その帰り道で「おや」っと・・・。

 「あれはひょっとして」とレンズを向けると、やはり「ミコアイサ」です。


 あわてて近づき、何枚か撮影。

 

  すぐに水に潜ってしまい、少ししか水面にいなくて撮影に苦労しましたが、それでも何枚か撮影に成功。

 最後の写真は、撮影に成功したものをトリミングしています。



 「ミコアイサ」は、この湖のマスコットと呼ばれていますが、自分が出会ったのはこれが3回目くらいです。

 最後に幸運に恵まれました。

 

 最初いつもの公園が休園でがっかりしましたが、最後はなんともラッキーで、とても良い1日となりました。