2017年8月25日金曜日

井伊谷城跡~大河ドラマ館

先日、鍾乳洞を訪れた後、井伊谷城跡を訪れました。
持っていた機材は、鍾乳洞同様DFA24-70mmをつけたK-1です。

井伊谷城跡は山城で、山の麓に駐車して、駐車場から青空を撮影。


とりあえず、城跡に登ろうと入り口で撮影して登り始めました。




思っていたより急な山道で,もう汗だくに・・・。
途中に稲荷神社があってなんとなく撮影。


目的地を前に、たまらずひと休み。


ようやく城跡に到着。城跡にはなんとなく林がありました。



山頂から北側には、三岳山という、こちらも井伊にゆかりのある山(城)が見えました。


 山頂から南側には、浜松市街とちょっとだけ浜名湖が見えました。


浜名湖のあたりを70mmで撮影。 湖の右のあたりが気賀になります。
気賀には、そのあと訪れる大河ドラマ館や堀川城跡があります。


しばらく休んで下山しました。


下山したところで、花壇の花をなんとなく撮影。



その後、大河ドラマ館に移動。
大河ドラマ館の駐車場は、気賀関所の駐車場と兼務していました。


気賀関所。


大河ドラマ館。


大河ドラマ館内は、撮影禁止でしたが1部屋だけ撮影してもよい部屋で撮影。


大河ドラマ館というものに初めて入場しましたが、大河ドラマをいつも見ている人にとっては、
とても感慨深いものを感じました。

大河ドラマ館のすぐ近くに堀川城跡があるようでしたが、歴史の悲劇をあとから知って、
あまりに悲しくて、残念ながら、とても訪れることはできませんでした・・・。

2017年8月19日土曜日

鍾乳洞

先日、ここ10年以上訪れていなかった「竜ケ岩洞」という鍾乳洞に出かけました。

どうせ訪れるなら内部が天然クーラーとなっている涼しいところにしようという気持ちと、
鍾乳洞のような暗い内部で、どの程度それらしい写真が撮れるか確かめたいという気持ちからでした。

持参したのは、DFA24-70mmF2.8をつけたK-1です。

最初は 「竜ケ岩洞」の入り口の写真です。


 入り口から入ってすぐのところに、この洞窟に住んでいたコウモリが飼われていました。


鍾乳洞の内部へ。


色々な鍾乳石が。



背景をぼかし、少し雰囲気をかえて撮影。



特にブルーにライトアップされた水面はなかなか幻想的です。




途中にあった大広間。天井の奥からは日光が少しこぼれていました。


鍾乳洞のちょうど中間くらいの位置に、滝のある場所があり、そこがメインの見せ場でしょうか。





くらげの滝のぼりという名前のついた鍾乳石。


出口近くに、最後の見せ場の広間がありました。
24mmでの撮影ですが、全体は写しきれませんでした。


とうとう出口に到着し、出口から内部に向かって撮影。


また、暑い夏に戻ってきました。

今回は、ほとんどがISO6400での撮影でしたが、それで鍾乳洞の内部をそれらしく撮れたのは、さすがだと感じました。

外に出ると、入場時には気がつかなかった井伊の兜のモニュメントと、共保公出生の井戸のモニュメントがありました。
「竜ケ岩洞」は、井伊谷と奥山の中間くらいに位置しているので、やはり今の大河ドラマに関連したものが
たくさんありました。



その後、自分にとって初めて井伊谷城跡に向かいましたが、その状況は次回にアップしたいと思います。

2017年8月12日土曜日

水辺の花火

今年も自宅近くの湖畔公園で、幸い花火大会を楽しむことができました。

毎年花火を楽しむことがメインであり、写真撮影はあくまでもついでですが、
それでも毎年同じような写真しか撮っていないため、今年はとりあえずDA fish-eye10-17mmを使って
撮影してみることにしました。
使用したのはDAレンズでしたので、カメラは夜間撮影で使い慣れたK-3を使うことにしました。

現地に到着したら、水辺の良い場所はほとんど場所取りされており、良い場所を探してぶらぶらしながら
なんとなくfish-eyeらしい写真を1枚撮影。


余裕があれば、花火前の楽しい雰囲気のスナップを撮ろうとDA18-135mmも持っていたのですが、
結局次の1枚だけしか撮影できませんでした。


花火の開始1時間ほど前に、ほとんど唯一 空いていた水辺のある場所に三脚をたてて、
のんびり花火の開始を待つことにしました。

途中から妻と愛犬も合流し、夕食や枝豆を食べながらビールを飲んで、この時ばかりと
少しづつ暮れてゆく夕焼け小焼けの空を、のんびりと楽しみました。

夕焼け空を、PENTAXのホワイトバランスCTEは、本当に美しく表現してくれますね。
小焼けから夜へと、刻々と移り変わってゆく景色。

 


やっと1発目の発射。
あとは、ひたすら同じような花火の写真です・・・(^_^;。





夜も更けて、空もほとんど真っ暗に。


スターマイン。


せっかくDA fish-eye10-17mmを使ったのに、17mmで撮っていたらいつもと同じ写真しか撮れておらず、
途中から10mm側で魚眼らしい写真撮影に切り替えてみましたが、ほとんどまともな写真が撮れませんでした。
唯一少しアップしても良さそうに撮れた1枚を次にアップいたします。


「わざと樹とかを入れて撮れば、少しは気の利いた写真が撮れたかも」と思いましたが、
それもあとの祭りです・・・。

最後は、大会の締めのスターマインです。


最後にちょっとチャーミングな雰囲気で撮れて、まあいいかなといった感じです。

2017年8月5日土曜日

記録と記憶

今回まず最初にアップする写真は、ちょうど10年ほど前に自分がZorgにアップした浜松市立体育館の写真です。


ちょうど10年ほど前、自分にとっても愛着のある、この一風変わった形の体育館の取り壊しが決まったと聞き、
それならば、今のうちに記念に撮っておこうと思って撮影した1枚です。

当時使用した機材は、カメラは自分が初めて購入したデジタル一眼レフカメラであるist-Dと、
まだAPS-C用の広角レンズが一般的でなく、当時唯一APS-Cで広角らしく使用できるレンズとして所有していた
TAMRON(MF)SP 17mm F3.5です。
レンズは25年ほど前に中古で購入したものでした。

どこか自分の記憶にとどめたい記録写真という意識があってか、当時もモノクロで現像してZorgにアップしており、
当時に現像したそのままの写真をアップしています。

自分のこの体育館にまつわる思い出としては、(自分が浜松に居住を始めてからしばらく時間が経っていましたが)
下の息子がちょうど中学生で部活で卓球に励んでおり、市の大会はいつもここで行われていたため、
息子の卓球の応援に、いつもここを訪れていました。
息子にとっては、息子の卓球人生の卓球大会に関する原点のような場所だという気がします。
息子の卓球の応援の時のことを思い出すと、まだ全然古びた感じのしなかった内部の様子が、
まざまざとよみがえってきて、この写真はひとつの記録であると同時に、自分の記憶を呼び起こしてくれる1枚です。

次は、この体育館を別角度から撮影した1枚です。


先日10年ぶりに、この写真をみながら同じ場所を、同じ角度から、なるべく近い画角で撮影してみました。

使用したカメラはK-S2で、レンズはキットレンズのDA18-50mmです。
18mmなので、17mmとほとんど変わらないだろうと考えての選択です。

次は、最初の1枚目の写真と同じ角度から撮影した写真です。


その次は、2枚目の写真と同じ角度から撮影した写真です。


もう1枚、別角度から今の様子を撮影しました。


この写真では、遠くに浜松城の天守閣が写っていますが、体育館が取り壊されたあと、この場所は、
浜松城公園の無料駐車場として活用されており、駐車場が広くなったのは嬉しいことですが、体育館が取り壊されたことは、
今でも残念で仕方がありません。

話は変わりますが、この浜松城公園の近くには、昔奥山線という路線が走っていたようです。
奥山線は、自分と同じ歳の妻が当地で生まれたときにはもう廃線になっていたということで、
ずいぶん前に廃線になっていたようですが、その名残として、ここの近くに亀山トンネルというトンネルが残っています。


このトンネルは、自分にとってなかなかフォトジェニックで、こちらでも時々アップしている写真です。

この亀山トンネルには、旧奥山線の写真が記録として展示されているため、今回その写真を撮影して、
当時のこの路線の様子をこちらでアップしたいと思います。

まずは、亀山トンネルに向かう蒸気機関車の写真です。


他の蒸気機関車の写真です。




広沢は自分の自宅のすぐ近くなので、こちらの写真は、たいへん興味深く感じます。

次の写真は、奥山線の名前の由来となった奥山駅の写真だそうです。


奥山と聞くと、自分は500羅漢の寺である奥山方広寺を思い出しますが、最近大河ドラマをみていたら、
井伊虎松の実母である「しの」さんの実家のあった場所みたいですね。
自宅からは自動車で1時間くらいかかる北の(山の)ほうにあり、ずいぶん遠くまで走っていたのだと、しみじみ感じます。

旧奥山線は、蒸気機関車から順次ディーゼル車や電車に切り替えられていったようです。




最後の写真は、自分にとっては、街の記録と自分の記憶が織りなすタペストリーのように感じられる、なんとも感慨深い1枚です。