先月風邪をひいて体調の悪かった日、なんとなく風車が見たくなって、確か風車があったように思われたあたりの海に
出かけてみました。
持参したのは、DFA24-70mmをつけたK-1です。
いつもの砂丘から風車の見えた場所を想定して、たぶんこのあたりだろうと推定しながら駐車場に停車して、
そこから歩いて海へと向かいました。
最初の写真は、駐車場から海に向かうための林の中の海への入り口です。
ひとつめの林のなかの通路です。
次に、ひとつめの林と2つめの林の間の道をしばらく歩きました。
2つめの林の中の通路への三叉路。
2つめの林の中の通路を通ると、やっと海が見えてきました。
やっと海を見渡せた場所で1枚撮影。
しかし、あたりを見渡しても風車は見当たらず、どうも自分は見当違いの場所に来てしまったようでした。
ただ、こんな場所にある海でも、ただ海を眺める人や、釣りをする人や、サーファーの人たちがたくさんいて、
「海が好きな人は本当に好きなんだなあ。」と思いつつ、少しブラブラしながら周囲を撮影。
左の方を眺めると、その端の方のずっと遠い場所に風車を発見。
思わず「自分の方向音痴もここまでひどかったか。」と思ってしまいました。
最後に、どんよりとした曇り空でしたが雲間から太陽の光が降り注ぐのが、少し幻想的にみえた風景を撮影し、
その後、帰途につきました。
(あとからですが)こうやって広大な海の風景を見渡している写真をみると、最近読み直した宮沢賢治さんの作品論
「言葉の流星群」の中で読んだ、宮沢賢治さんの詩「春と修羅」の中の詩の一節が思い浮かびました。
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
自分は自然の風景に「広大だなあ。」と少し畏敬をもって、ただ眺めるだけですが、
宮沢賢治さんは、いつも自然の中にいながらも、いつも自然と対峙し、この詩の中では、気層にむかってつばを吐きかけ、
はぎしりするほどの怒りと悲しみを抱いていて、その強い意志と、それをこんな風に表現できる才能には、
ただただ、ため息が出るばかりです。
話は横道にそれましたが、今回「明瞭強調」処理は行ないましたが、どんよりとした雲の様子と海の様子を
両方しっかり描写してくれたのは、やはりK-1のおかげかなあ(?)とも感じました。
こんにちは!
返信削除どんよりとした雲が垂れ込める海の景色はどことなく寂寥感を
感じますね。立冬も過ぎて冬はすぐそこまで迫ってきたと実感します。
実は今日の盛岡は初雪が観測されて朝から雪が断続的に降っています。
いよいよ本格的な冬だなーと実感しています。
それにしてもStill Lifeさんの宮沢賢治の考察の深さには恐れ入ります。
私は岩手県民でありながら宮沢賢治さんの作品を熱心に読んだのは学生時代
だけで、今はお気に入りの童話を時々思い出したように読む程度なので、お恥ずかしい限りです。
好きな童話も「かしわばやしの夜」や「やまなし」といった鳥が出てくる作品
ばっかりなんです(^o^;)
里人さん、どうもこんばんわ!!
削除そちらではもう雪ですか・・・。
今日東京で木枯らし1号が吹いたとニュースで聞きましたが、
こちらでも今日の帰りの車の中で、外気温が10℃以下になっているのに
初めて気がつきました。
今日の夕方から、どうも体調がおかしいと感じていましたが、
まだあまり厚着をしていなかったために
寒さの影響で体調を崩しかけていたようです。
里人さんも風邪などひかれませんよう、どうかご自愛ください。
自分の宮沢賢治さんに関する知識は、こちらのコメントにも書いていますように
池澤夏樹さん著の「言葉の流星群」という本から得たものばかりです。
(ちなみに自分の「Still Life」というハンドルネームは、池澤夏樹さんの
芥川賞受賞作品の名前にちなんで、選んだものなのです。)
この本は、いまから15年ほど前に買って一度読んでいたのですが、
先日花巻を訪れるにあたって、宮沢賢治さんの作品や手紙などを読んで、
少し知識が広がったので、改めて「言葉の流星群」を読み直したら、
今回ようやく「言葉の流星群」に書かれている内容を、
以前よりも、よく理解できたように感じたといった状況です。
それによって、改めて宮沢賢治さんのすごさを感じていますが、
自分のような凡人は、ただため息が出るばかりです・・・。